「今日は来なかったんだね」
居場所で誰かを待っていたとき、そんなふうに思うことがあります。
来てくれると、なんだか安心する。
元気な顔を見られると、少しホッとする。
でも、来なかった日には、なんとなくざわざわして「どうしたんだろう」「何かあったのかな」と心配になる。
もちろん、気にかけることは大切です。
でも同時に、来なかったことも、その子なりの 選び方 だったのかもしれない・・・
そんなふうに考えてみることもできると思うんです。
今日は休みたかったのかもしれないし、ちょっとひとりになりたかったのかもしれないし、別の場所に行ってみたのかもしれない。
居場所って、来る自由があるように、来ない自由もあっていいはずです。
「来てほしい」って思う気持ちは、そのままでいい。
でも、「来なかった」ことを、ただ“残念”とか“心配”で片付けないで「今日は、来ない日だったんだな」と
そっと受けとめるまなざしを持てたら、それもきっと、見えないかたちの関係のひとつなんじゃないかと思います。
また来るかもしれないし、来ないかもしれない。
来なかった日も、つながりは続いている。
そんなふうに思えると、少し肩の力が抜けて「また来てくれたらうれしいな」と、やわらかく待てるような気がします。
「来なかった日」のこと、あなたはどう受けとめていますか?