今日は来なかったけど、それもその子の選択かも

 
最終更新日:2025/07/12(土)14:46
 

「今日は来なかったんだね」
居場所で誰かを待っていたとき、そんなふうに思うことがあります。

来てくれると、なんだか安心する。
元気な顔を見られると、少しホッとする。

でも、来なかった日には、なんとなくざわざわして「どうしたんだろう」「何かあったのかな」と心配になる。

もちろん、気にかけることは大切です。
でも同時に、来なかったことも、その子なりの 選び方 だったのかもしれない・・・
そんなふうに考えてみることもできると思うんです。

今日は休みたかったのかもしれないし、ちょっとひとりになりたかったのかもしれないし、別の場所に行ってみたのかもしれない。

居場所って、来る自由があるように、来ない自由もあっていいはずです。

「来てほしい」って思う気持ちは、そのままでいい。
でも、「来なかった」ことを、ただ“残念”とか“心配”で片付けないで「今日は、来ない日だったんだな」と
そっと受けとめるまなざしを持てたら、それもきっと、見えないかたちの関係のひとつなんじゃないかと思います。

また来るかもしれないし、来ないかもしれない。
来なかった日も、つながりは続いている。

そんなふうに思えると、少し肩の力が抜けて「また来てくれたらうれしいな」と、やわらかく待てるような気がします。

もしよかったらあなたの気持ちも少し教えて下さい。

「来なかった日」のこと、あなたはどう受けとめていますか?

 

 

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