「こどもたちのために、居場所をつくりたい」
「困っている人に、よりそいたい」
そんなふうに思って動きはじめたおとなたちが、いつの間にか、自分自身の居場所を失ってしまうことがあります。
人の話は聞けるけど、自分の話はなかなかできない。
だれかのしんどさには寄りそえるのに、自分のつかれには気づかないふりをする。
気づいたら「役に立つおとな」としての顔ばかりで、「ひとりの人」としての居場所が見つからない・・・
そんな声も、よく耳にします。
でも本当は、 おとなにこそ、居場所はひつよう なんだと思います。
なにかを提供する側だからこそ、誰かに受けとめてもらえる場がいる。
「今日はちょっとしんどいな」
「だれかと話したいけど、話せない」
そんな気持ちを、そのまま持っていていい空間。
こどもが安心できる場には、おとなも安心できていることが、きっと大切です。
弱音を出せないおとなの背中は、こどもたちに「がまんして生きるのが当たり前」と思わせてしまうかもしれない。
おとなが、自分の居場所を持っていていい。
おとなが、「自分はここにいていい」と感じられる。
それは、こどもたちにとっても「あ、そうやって生きていいんだ」と思えるヒントになるはずです。
あなたは「おとなとしての顔」をおろせる居場所はありますか?