何度か顔を見たことはあるけど、まだ話したことはない。
来ていたのは知ってるけど、その日は声をかけなかった。
同じ空間にいたけれど、ただ、それだけだった・・・。
そんなふうに、「関わっていない時間」のことを、なんとなく「なにもできなかった時間」だと思ってしまうことがあります。
でも、本当にそうでしょうか。
あの日、となりの席で同じ時間を過ごし
「いてもいいよ」って言葉、なんだかやさしくて、あったかい感じがする。
でも、その「いてもいい」って、ほんとうはどういうことなんだろう?
なにもしてなくてもいい?
黙って座ってるだけでもいい?
何回も来なくてもいい?
目立たなくても、笑ってなくても、誰とも話さなくても・・・
それでも「いてもいい」って言えるかな。
居場所に
「こどもたちのために、居場所をつくりたい」
「困っている人に、よりそいたい」
そんなふうに思って動きはじめたおとなたちが、いつの間にか、自分自身の居場所を失ってしまうことがあります。
人の話は聞けるけど、自分の話はなかなかできない。
だれかのしんどさには寄りそえるのに、自分のつかれには気づかないふりをする。
気づいたら「役に立つおとな」とし
「今日は来なかったんだね」
居場所で誰かを待っていたとき、そんなふうに思うことがあります。
来てくれると、なんだか安心する。
元気な顔を見られると、少しホッとする。
でも、来なかった日には、なんとなくざわざわして「どうしたんだろう」「何かあったのかな」と心配になる。
もちろん、気にかけることは大切です。
でも同時に、来なかったこと
「ここ、ちょっと合わなかったな」
そう思ったとき、あなたは誰かにそれを言えますか?
もしくは、自分自身にちゃんとそう言えていますか?
居場所って、「ありがたいもの」「受け入れてもらえるところ」
そんなふうに思っていると、なんだか申し訳なくて「ここはちがうかも」と言うのがむずかしくなることがあります。
フリースペース、子ども食堂、放課後の居場所、地域のサロ
支援者をしていた頃「大丈夫?」と声をかけたあと、どう関わればいいのか迷うことがありました。
助けたい気持ちはある。でも、どこまで立ち入っていいのか、わからない。
たとえば、居場所で出会った子が、明らかにしんどそうだったとき。
話しかけたほうがいいのか、そっとしておいたほうがいいのか・・・
そんなふうに迷った経験、ありませんか?
「支援する」って言葉は、と
たとえば「ここ、居心地いいよ」と誰かにすすめられた場所に行ってみて、なんとなく落ち着かないなと思ったこと、ありませんか?
にぎやかで笑い声があふれてるのが安心できる人もいれば、静かに本を読める空間がいい人もいる。
誰かに話しかけられるとホッとする人もいれば、今日はそっとしておいてほしいなと思う人もいます。
居場所って、案外「これが正解」みたいなものがありません。
「ここ、わたしの居場所なんです」そう言える場所がある人は、きっと幸せだと思う。
でもときどき、「それっぽい名前がついていないと、 居場所 って言っちゃいけないのかな?」そんなふうに感じることがあります。
地域の図書館、駅までの道、いつも同じ人が座っている公園のベンチ。